日興連の平和な昼時、アキラはアルバイトが休みなリンと一緒に商店街を歩いていた。
     商店街には様々な店が並び、見ているだけでも楽しい。街を歩く人々はアキラとリンを遠巻きに見つめている。
 アキラは仏頂面だが、リンの話の内容が面白いらしく、たまに笑う。同調するアキラに気をよくして、リンは更に面白おかしい話をする。
日興連で再会してから、週に一度はこの商店街でこのような他愛もない会話をしながら、ショッピングを楽しむ。こんなことはお互いに今までなかったことで、今はそんな日常が愛おしい。
「――でね、その時その人が」
 リンはアルバイト先での出来事を事細かにアキラに聞かせている。アキラは相槌を打ちながら、話題が豊富なリンに感心している。  
このあたりは元来の性格なのだろう。
「それで、どうなったんだ?」
 自動販売機で買った缶コーヒーを口元に運びながら、アキラが尋ねる。リンもコーヒーを一口飲むと、話の続きを言おうと口を開く。
「それでボスがトチっちゃったんだよ。笑えるでしょ?」
 何の変哲もない日常。ただ穏やかに過ぎ去る日々。これがトシマでの生活を経てリンの求めたものだ。
 そんな中、いきなりリンが大声を上げた。何事かと、アキラは周囲を見回す。
「ペットショップだ! アキラ、俺さ、猫飼いたいなー」
 前に来た時にはなかった店だ。きっと最近オープンしたのだろう。ショーウィンドウの中では、子犬や子猫が愛らしい仕草で甘えている。アキラはそうでもないが、リンは動物が好きだ。近所の犬や猫の飼い主を羨ましそうな目で見ていた事も、アキラは知っている。
「……飼うのは無理だな。うちは狭いんだ。とてもじゃないが猫なんか飼えないぞ」
 アキラとして当然な事を言ったつもりだが、リンがムキになったような目で睨む。
「いいじゃん、猫くらい。俺もアキラも働いてるんだし。餌代くらいは俺が何とかするし」
 そう言って、リンはペットショップに向かって歩いていく。このままではリンが勝手に猫を飼い始めかねない。
穏やかそうに見えても元ブラスターチャンピオンチームのヘッドなのだ。
「おい、待てよ! リン!」
 アキラが慌てて追いかけた頃には、リンはすでにガラスケースの中の子猫に夢中だった。
「うわー! 可愛い! アメリカンショートヘアかぁ……」
 リンが夢中になって眺めているのは、ガラスケースに生まれたばかりの頃の写真が貼られた、愛らしい子猫だった。子猫の状態を説明する紙には、『アメリカンショートヘア・雄・生後一か月・健康』と書かれている。
「ほんっと、可愛いー!」
 リンはすでにこの子猫に夢中だ。子猫は自分の尻尾を追いかけて、何度も同じ場所をくるくる回っている。
「動物ってこの単純なところがいいんだよねー。人間じゃあ打算とか計算とか、裏があるけど、こいつらはそうじゃないし」
 灰色の皮膚に黒い模様が入った子猫は、小さく欠伸をする。その度にリンの『可愛い』コールが続く。
 気がつくと、いつの間にかアキラとリンの周りに若い少女たちが群れていた。リンは子猫に夢中で気づかないが、彼女たちは子猫に夢中になるリンが気になって仕方がないらしい。
         小声でアキラとリンの事を喋っている。
「あの金髪の子って十代かな? 猫好きなんて可愛い」
「あら、わたしは断然身長の低い方かな。あのクールそうなところが素敵」
「いやいや、どっちもいいわ! あたし声かけてみようかなー」
 アキラは言いようのない居心地の悪さを感じた。昔から女子に声をかけられることはしばしばあった。しかしすべてがどうでもよかったアキラには、彼女たちとの距離の保ち方がどうしても解らなかった。今もそれは変わらない。
 人懐っこさが滲み出ているのか、リンに話しかける者が出てきた。リンだって男兄弟育ちだし、男だけのチームにいたから、女性の扱いには困るだろう。そう思っていたアキラだが、リンは何事もなく彼女たちとの会話を楽しんでいる。
「可愛いよね、この子猫。俺も飼いたいんだけど、恋人が許してくれなくて」
 リンは心底残念という顔をして見せた。困ったような笑みがリンの整った容姿を引き立てている。
「えー! 彼女いるの? ざーんねん! 一人身なら絶対付き合ってたのにー」
「あはは……。基本放任主義なんだけど、結構焼きもちやきでさー。まぁ、そんなところも好きなんだけどね」
――誰が焼きもちやきだ。それはお前の方だろ!
 アキラは話しかけてくる肉食系女子を見事に無視し、リンの言葉に心の中で突っ込みを入れた。トシマで交わした、『裏切ったら殺していい』という誓いを今でも大事にしているというのに、何がそんなに不満なのだろうか。
 そんな時、リンに話しかけている少女の中でも特に顔立ちの整った、気の強そうな女子が子猫を一目見るなり言い放った。
「決めた! あたし、この猫飼うわ!」
「え?」
リンはそう宣言した相手の顔をじっと見た。その目には動揺が滲んでいる。
「そしたら、この子猫に会いに来てくれるでしょ?」
 強気な発言だった。周りの少女たちも『それがいいわ』と頷いている。
 リンは慌てて言った。
「でも、動物って愛情に敏感だし、ほんとに好きで飼うんじゃないと懐かないし……」
 珍しくリンが言葉に詰まっている。トシマでは源泉の経験豊富な口と張り合っていたというのに、相手が女子だと強く出られないようだ。
「心配ならうちに来てよ。……はいこれ、うちの住所。いつ来てもあなたなら大歓迎よ! このコも喜ぶわ!」
 店員に子猫をガラスケースから出してもらいながら、その少女は嬉しそうに笑った。他の少女たちは羨ましそうに彼女を見ている。
 アキラがリンにかけられる言葉など見当たらなかった。


「……」
 あれから二週間が過ぎた。目をつけた子猫を見知らぬ女に買われ、リンは明らかに気落ちしている。アルバイトにも行くには行くのだが、やる気が感じられない。
 今日は雨で、その事にさらに拍車を買開けている。
「……ン。リン!」
 アキラが声を大きくして、ようやくリンはアキラの方を振り返った。その表情には全く覇気がない。
「ん。なに、アキラ?」
「なにじゃないだろ? お前、あの猫の事をまだ引きずってるのか?」
 リンはしゅんとした。明らかに気にしている。あの少女が渡したメモは冷蔵庫にマグネットで貼ってある。子猫に会いに行こうと思えばいつでも行ける。それなのに、珍しくリンが消極的だ。
「うん。あの子猫さ、ちゃんと可愛がられてるのかな?」
 ペットショップで飼い主が現れるまで、ガラスケースから出られない。たとえ飼い主が見つかっても、意地悪な飼い主なら満足に餌をもらえないかもしれない。リンが心配しているのはそういう事だ。あの子猫が相当気に入っていたらしい。
「それは……大丈夫だろう。あの子だって飼い主の責任くらいは果たすだろう」
 そうリンに言い聞かせつつも、実はアキラも少し気がかりだった。あの時の様子では、リンと親しくなるための口実としてあの子猫を買ったとしか思えない。
「大丈夫かなぁ……」
 リンはため息をついた。雨は勢いを増していく。
 本当に小さな鳴き声が聞こえたのはその時だった。アキラは耳を澄ませてみるが、それは間違いなく、猫の鳴き声だった。
「リン、何か聞こえないか?」
「え……? 雨の音でよく聞こえない」
 アキラは思い切って外に出た。猫の鳴き声が鮮明に聞こえる。小さな、か細い鳴き声だから、耳を澄ませて辺りを見回してみる。
 アパートの一階の、階段の傍にボロボロの段ボールが見える。泣き声が聞こえるのはそこからだ。
「リン、この鳴き声は猫だ」
 リンも外に出て、階段を降りる。段ボールの中では、子猫がぐったりとしていた。鳴く気力も尽きそうなのか、泣き声は段々か細くなっていく。
「大変だよ! この辺に動物病院ってあったっけ?」
 二階の階段の上からリンが子猫を保護するのを見ながら、アキラは部屋に戻る。電話帳を探って、近くの動物病院を見つけた。
「あったぞ! 中里アニマルクリニック! そこに連れていこう!」
 猫のことなど、どうでもいいという思いはどこかへ消えていた。今はリンが大切にしたい子猫のことが最優先だ。
「俺はこのまま先に行ってる! アキラはお金持って、あとから来て!」
「わかった!」
 リンは上着も着ないまま走り出した。リン自身、義足だということを忘れているかのような速さだ。アキラは手元に残してある生活費を全部持って、急いで部屋を出た。

 
 子猫は無事に助かった。あと一時間遅かったら助からなかっただろうと獣医が言っていた。今やすっかり元気になった子猫は、リンの膝に甘えるように頭をうずめた。
「……よかった。それにしてもこのコはもしかして、あの時の子猫じゃないかな?」
 リンは腕をさすりながら言った。あの雨の中、上着も着ずに薄手のシャツ一枚で動物病院まで駆けつけたリンは、風邪をひいていた。 
「子猫が助かったんだからこれくらいどうってことない」
なんて強がっているが、寒気がひどいらしい。今はアキラの上着も借りて羽織っている。
「本当だ。模様があの時のと同じだ」
 アキラがまじまじと猫を見つめると、猫はパンチを繰り出してきた。肉球の感触が気持ちいい。
「アキラって猫には嫌われるんだね」
 自分に懐いているからって、リンは面白そうに言う。ここでくしゃみをする。
「それにしてもあの女、酷い事するな。毛並みもボロボロじゃないか」
 ペットショップで見た時には健康そのもので、毛並みも美しかったのに、今の子猫はひどく衰弱している。おそらく餌もろくに与えられなかったのだろう。
「ひどい話だよ、ホント」
 リンは掌で子猫の身体を包み込んだ。子猫は喉を鳴らして嬉しそうに鳴いている。
「……」
 アキラは黙ってリンと子猫を見つめている。リンが言いづらそうに口を開く。
「……あのさ、この猫、俺が飼っちゃダメかな? アキラには絶対迷惑かけないから」
 それは再会してから初めてのリンの願い事だった。一人で生きてきたアキラにとってはペットなど必要ではない。だがリンは違う。
「うちにはすでに雄猫が一匹いるだろ。こうなったら一匹も二匹も同じだ」
「じゃあ飼っていいの? 嬉しい! ありがとアキラ! 大好き!」
 リンはまさしく猫のようにアキラに抱き付く。
――本当は猫に嫉妬したなんて、絶対に言わないんだからな。
アキラはそんな事を考えつつも、子猫がいる生活も悪くはないように思えた。


その日から、アキラとリンの二人暮らしに仲間が一匹増えた。
「おかえり、コート」
 アキラが子猫の名を呼び餌をやっても、子猫は全く懐かない。子猫ならではの人間からの扱いの敏感さを悟っているのだろう。
「貸して。俺がやるよ」
 リンは慣れた手つきで餌を手に載せて差し出す。子猫は一度にゃんと鳴いてから、リンの掌の餌を食べ始める。
「それにしても勘弁してほしいよな。俺のブラスター時代の渾名を子猫につけるなんてさ」
 リンは不満げだが、これはこの子猫を買う時にアキラが出した条件だった。
「いいだろ? お前もコイツも雄猫なのは変わらないんだ。俺はリンもコートも大事にしたいと思ってる」
 アキラの言葉に、リンは嬉しそうに笑う。
「やっぱりアキラのそういうところには敵わないや。お前もそうだろ、コート?」
 コートと名付けられた子猫は再びにゃんと鳴くと、リンの手に顔を摺り寄せる。
 二人だけだった生活に、雄猫がもう一匹増えた。二匹の雄猫はアキラを困らせることも多いが、それを差し置いても飛び切り可愛くて、飛び切り愛しい。二匹の雄猫はアキラに潤いを提供してくれている。今、この瞬間がとても尊いものにアキラとリンには思えるのだった。



______________________ 2017年 4月16日 莊野りず

咎狗同人誌再録ラストはやっぱりアキリンで。
リンが雄猫ってことで、猫は出したいなあ、なんて。
BLゲームにつき、女子には厳しい仕様です。



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