それは突然の事だった。ブラスターで連戦連勝、最強の名を欲しいままにしているチーム、ペスカ・コシカ。何度目かの連勝を祝い、仲間たちは居酒屋で祝賀会をすることになっていた。リンは生憎、他の用事があった。どうしても外せない、大事な用事が。
「リンがチームの事以外で大事な事って何だよ?」
 トモユキは酒を勢いよく煽った後、リンにそう絡んできたが、カズイは黙って送り出してくれた。暴れそうになるトモユキを抑えたり、暴走しそうになる仲間を止めるストッパーの役割をカズイは果たしてくれていた。
 最初は無名だったペスカ・コシカも今では自分から仲間に入れてくれと若者が殺到するような大規模な集団へとなっていた。最初はホイホイ入れていたが、最近は敵チームのスパイのような者もいるので、警戒してメンバーの募集はやめようと、カズイと相談して決めている。
「リンが大事だって言うんなら本当に大事な用なんだろ? 俺たちの事は気にするなよ」
 カズイはそう言ってくれたが、リンは少し申し訳ない。ここのところカズイの顔をまともに見られない。寝顔にキスをしてからはずっとこの調子で、締まらない。
「悪いな。ホント、すぐ済むから」
 今日は満月だからカズイのあの綺麗な青い髪を見られるかもしれない。そう期待して、リンは廃ビルが立ち並ぶ通りへと向かった。


 エリアゴーストの治安は非常に悪い。夜に一人で歩くともなれば、ナイフは必帯アイテムだ。リンはバタフライナイフを弄びながら、人波が途絶えた通りを足早に歩く。
 リンの用事とはある企業がペスカ・コシカに目をつけたという話を聞いたからだ。
――特に覚えはないんだけどな。
 仲間たちにも裏取引は絶対に行うなと厳命してある。これを破ればヘッドの制裁という名のリンチが行われる。リンは仲間には甘いが、チーム全体が危機に陥りそうになる時には非情になる。その事は仲間たち全員がよく知っている。
「おい」
 何か裏で事が進んでいるのではないか――そんな事を考えている時だった。後ろから声をかけられた。どこかで聞いたような気がする凛とした声。しかし思い出せなくて、そのまま振り向く。
「あ……兄、貴?」
 正直いつものスカウトや喧嘩の因縁だと思って、手にしていたナイフを向けようとしていた。その切っ先が喉に触れるか触れないかのギリギリのところで、兄――シキはそれを容易くかわしていた。
「……久しぶりだな」
 記憶の中の顔より大人びている。それも当たり前だ。シキはリンが幼い頃にとっくに家を出ている。そのシキを追いかけるつもりで家を出たというのに、勢いでペスカ・コシカのヘッドに収まっている。今では立派にチンピラたちのボスだ。
「……なんで?」
 何に対しての『なんで?』なのかはリン自身にも解らなかった。なんでここにいるのか、なんで実家に電話の一本もよこさないのか、なんで自分を置いて行ったのか――。
 聞きたいことは山ほどあった。しかし数年ぶりに見る兄の姿に感極まって何も言えなくなる。
「こんなところではなんだ。どこかこの辺りに落ち着いて話の出来るところでもないのか?」
 シキが辺りを見回しながらリンに尋ねる。この辺りの地理には不慣れのようだった。
「あっ、あるよ! ここからすぐ近くのクラブなら二十四時間営業だし、カウンター席でいろいろ話でも……」
 自分でも口が上手く回らない。憧れ続けた兄が目の前にいるというだけで、これほどまでに緊張するものなのか。リンは自分たちがいかに普通の兄弟とは違うのかを思い知らされ尤、このご時世では養子縁組の過程がほとんどで、実の兄弟など数えられるほどしかいないが。
「クラブか。ちょうどいい。お前も飲めるんだろう?」
 ここでシキが訊いているのはもちろんそっちの飲むだろうとリンは想像をめぐらす。この兄の言い回しは昔から少し難解なところがある。
「もちろん! 今は仲間と飲んでるよ、しょっちゅう」
 本当は弱いのだが、それを正直に言うのはどこか恥ずかしい気がして嘘をつく。シキは口角を上げて笑った。彼の笑う顔は、思えば初めて見る。
――それだけ俺の成長を喜んでくれてるって事だ.
 リンはそう一人で納得すると、馴染みのクラブへとシキを連れて行った。


 クラブはいつもより混み合っていて、テーブル席ではなくカウンターに通された。二人分の空きがなかったのだが、リンが顔なじみだということで気を利かせてくれた。
「それで、どうして兄貴がこの街に?」
 軽いカクテルを頼んで、リンはシキとの距離を詰める。何となくシキの話は大勢に聞かせるべき類の話ではないと判断したからだ。
「そんな事よりもお前の事だ。お前が家出をして帰らないと、あの二人が心配して俺のところに電話してきた」
 おそらく電話したのは父だ。母親はシキとの接触を恐れている。
「まぁ、俺には関係のないことだからな、と答えておいた。お前もあの家が嫌になったのだろう?」
 流石兄弟なだけあって、シキはリンの気持ちをよく解っている。
「うん。サンキュ、兄貴。やっぱり兄貴は凄いな。昔のままだ」
 シキの元にウイスキーのストレートが運ばれてきた。有名な銘柄らしいが、リンにはウイスキーの事はよく解らない。
「ところで、お前は今何をしてるんだ?」
「え?」 
 突然尋ねられて、心の準備が出来ていない。シキの前では幼い頃のままなのかもしれないと、虚勢を張るのもやめようと思う。
「ブラスター! チーム戦で出てる! もうエリアゴーストじゃ負けなしのチームなんだ!」
 昔とは違うということを言いたかったのか、リンは『負け知らず』の部分を強調した。シキの瞳が興味を抱いたように紅く輝いた、ように見えた。
「……そうか、ブラスターか。お前は昔から群れを作って遊ぶのが好きだったからな。向いているんだろう」
 シキはウイスキーを口に含んだ。喉が鳴る。
「そうそう! みんな個性とかバラバラなんだけど、不思議と上手くいってて。俺も自分の居場所を見つけたって気がして」
 実家にいた時には得られなかった充実した日々。これは何にも代えがたい。完璧な兄、シキというコンプレックスが解消された今は自由で楽しい。
「……でも、どこか満たされないんだろう?」
 リンの事を見透かしたかのように、シキは静かに言った。内心で驚く。
「……なんで、そう思うんだよ?」
「兄の勘だ」
「……なんだよ、それ」
 そうは言いつつも、リンはシキの言う事が恐ろしく的を射ていると思った。仲間は大事だし、一緒にいる時間も大事。だが、たまに一人きりになりたい時もある。本来リンは群れているのが好きなはずなのに。
「お前は獣を飼っている」
 リンはぎくりとする。初めてのブラスターの時、トモユキを怪我させた時の、あの酷く痛めつけたいという衝動。その違和感の正体を未だに掴めないでいる。
「俺もそうだからな。気持ちは解るつもりだ」
 諭されるように言われ、リンは素直に自分の中の獣の存在を認めた。やはり兄弟だから、そんなこともお見通しということなのか。
「俺はどうすればいい? どうすればコイツを消せるんだ?」
「今はお前の思うがままに行動しろ。そうしているうちの答えは出る」
 シキはまた一口、ウイスキーを口に運ぶ。
「……そうだ、ブラスターに参加していると言ったな?」
 突然シキの目の色が変わったような気がする。
「う、うん。もう少ししたら他のエリアにも行ってみようって話も出てる」
 リンはこの兄に嫌われたくない一心で話を続ける。やっと再会したのだ。いっそ一晩でも語り明かしたい。
「……今も星を見るのは好きなのか?」
「え?」 
 ブラスターの話からなぜ星の話など出るのだろう。唐突すぎると思いつつも、あの優しかった兄の訊く事だしと、自分を納得させる。
「今も好きだ。俺たちの溜まり場はどこも星がよく見える場所にあってさ」
 この話題には興味を惹かれたらしく、シキは目を細めた。
「ほう。それはどんな場所なんだ?」
「ごめん。いくら兄貴でもこればっかりは……」
 リンは謝ろうとするが、シキの紅い瞳の輝きからは逃れられそうもない。リンはため息をつくと、大体の場所をクラブに置いてある紙ナプキンに描いて見せた。
「確かにこの場所なら星はよく見えるんだろうな」
 シキは満足そうに、今度こそリンに向かって笑いかけた。目だけで笑うんではなく、どこか優しげに、今まで見たこともない笑みだった。
 それには嫌な予感がしたが、せっかくの兄弟の再会だ。ここで文句を言うのは野暮というものだ。
「俺の話ばっかじゃなくて、兄貴の話も聞かせろよ。家を出てからどうしてたんだ? 仕事はどんなことをしてるんだ?」
 矢継ぎ早に質問が溢れてくる。今夜はここで過ごすことになるかもしれない。
――悪い、カズイ、トモユキ。
 リンは内心で詫びて、カクテルの残りを飲んだ。
シキはリンの話を一字一句逃さないように聞き耳を立てているように見えた。その夜は、まるで昔に戻ったかのようで、つい飲みすぎた。いつ意識を手放したのかも解らない。……今確実に言えるのは、あの時あんなに舞い上がらなければあんな事もなかった。


「なんだよ……これ」
 翌日、嫌な予感がして目覚めてすぐに向かった溜まり場は一面血の海だった。そこには積み重なるように仲間たちの死体の山が出来上がっていた。
 閉鎖された高速道路のフィールドに、一人、黒を纏った人物の影を見つけた瞬間に、リンは飛びかかっていた。獲物のスティレットを逆手に持ち、コートと恐れられる俊敏な動きで喉笛を狙う。しかしそれも容易く跳ね返された。
「アンタは!」
 逆光で見えなかった犯人の顔がゆっくりと日の光に照らされる。そこにいたのは紛れもなくリンの兄、シキ。
「……」
 シキは日本刀を構えもせずに、簡単にリンの攻撃をいなした。
「……お前は相変わらず甘いな」
 その表情からは昨日の優しげな笑顔どころか、幼い頃の優しかった兄の顔さえ窺い知れなかった。
 一つ確かな事は、この惨劇は間違いなくリンの責任だということだ。リン自身それを理解するしかなかった。
「どうして……?」
 悲痛な声にも、シキは顔色一つ変えない。
「仕事だからだ」
 確か昨日は裏稼業の危険な仕事をしていると言っていた。その仕事内容には馬鹿な子供の後始末なども含まれるとため息交じりに言っていた。
「俺を……嵌めたのか?」
 シキは冷徹な顔を崩さないまま、リンの上着の胸元を掴み上げた。
「お前は愚かだったということだ。俺を殺したければ追って来い。……ただし、追えるものならな」
 シキはリンにそう囁くと、用なしとばかりに乱暴にその体を放り投げた。リンの身体が死体の山の上に乗る。その息絶えた身体はまだ生温かかった。
「……る。殺してやるっ!」
 リンは勢い良く立ち上がったが、その足元で聞き覚えのある声がリンを呼び止める。
「よ、かった。リンが……無事、で」
 その声は紛れもなくカズイのものだった。
「カズイ? どこだ? カズイッ!」
 その小さな声はすぐ傍から聞こえていた。リンは死体の山の一番上にカズイがいることを知り、慌ててどく。
「カズイ! ごめん! 俺のせいで……」
 カズイはもう長くは持たない。だったら、せめて気持ちだけでも――。
「リ、ン」
 その続きは途絶えた。ガラス玉のように虚ろな瞳が映すものはもう何もない。
「カズイ? カズイッ!」
 リンは泣くしかなかった。初めて自分に居場所をくれたカズイ。優しかったカズイ。そして、多分……初恋だったカズイ。そのカズイの命はもう喪われてしまった。リンがどれだけ後悔してももう遅すぎた。
「ちっくしょう!」
 リンはアスファルトに拳を叩きつけた。


 トモユキたちがその場に到着したのはその時だった。彼らは何が起こったのか理解するのに時間がかかった。やがて、トモユキはリンに向かって叫んだ。
「裏切り者!」
 その言葉は違う。リンはそう説明した。何度も。だが、瓦解した集団は理性を失うのも早く、リンの言う事など誰一人信じなかった。――どうして? 信じてるって、仲間だって言ったのに。
 リンには大切な人々を喪った悲しみと、信じてもらえない悲しみが同時に押し寄せてきた。 
 トモユキたちは仲間たちを丁重に葬った。リンもそれに参加したかったが、裏切り者の烙印を押されてしまってはそれも無理な話だった。
 もしもカズイが生きていたら、話を聞いてくれただろうか? 信じてくれただろうか? ……今となってはその疑問の答えは永遠に出ない。

この時からリンは心にも表情にも仮面を被ることを覚えた。誰も信用せず、誰も頼らない。それはこれまでのリンの生きざまを全否定するようなものだった。それでもリンは前に進まなければならない。仲間の仇を討つ為に。自分自身のケジメをつけるために。――兄に打ち勝つために。
傷を負ったリンの心を癒すものはなにもない。ただ復讐のためだけに生きることに決めたリンは、弱肉強食の街・トシマへも迷わずに向かった。そこでの生活は神経をすり減らし、沢山の苦痛を容赦なくリンに与えた。それすらも慣れてきたところで、新たな出会いがあった。



________________________ 2017年 3月12日 莊野りず もう三年も前に書いた文章です。当時の拙さが伝わりながらも、当時は当時で萌え萌えしてたんだなあなんてなつかしくなりました。
「〜だった」が多いのもまだ文章のくせが出来上がっていなかったからでしょうね、ホントなつかしい。



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