天使はヒトよりは丈夫に出来ている。
しかし全く病気にならないかと問われれば、答えは否。
リプサリスが突然風邪をひいて寝込んでしまった。
育ての親でもあるルビエルとしては一日中ついていてやりたいところだが、生憎と仕事が山積みだ。
しょうがないと諦めて、ビッグホーン家の気心の知れた者に彼女の看病を頼んだ。
一人で歩く教団の廊下はいつもより冷たく感じられた。


【こねこ】


今日も未処理の書類を抱えて廊下を歩く。
女性ながら槍を振り回して戦う彼女は常人なら二人で運ぶ量の書類を軽々と運べる。
普段はリプサリスも一緒に運ぶのに、今日は一人ぼっちだ。
だからだろうか。
普段は打ち捨てるであろう獣の鳴き声を無視できなかったのは。
ステンドグラスが美しい、礼拝堂の扉の前にぽつりと置かれていた小箱からそれは聞こえて来た。
「にゃ〜」
それは幼い頃のリプサリスの声に似ていた。
だれか自分を庇護してくれる者が必要だと訴えるような、そんな鳴き声。
ルビエルはうっかり書類の山を崩して、手を伸べていた。


仕事は全くはかどらなかった。
もちろん勢いで拾ってしまったこねこのせいである。
拾ってしまった限りは出来る限りの事はしてやろうと、真面目な彼女はとりあえず餌として焼き魚を一匹与えた。
「猫と言えば魚だろう」
ルビエルはヒトの書いた本でそんなようなことを学んでいたが、こねことなると話は別だ。
こねこには魚を食べるための歯など生えていない。
食べ物を求めて鳴くこねこの前には、さすがの法天使もお手上げだ。
更にこのこねこは大事な書類に泥のついた足で乗って汚したり、用を足したりと、余計な仕事ばかり増やしてくれる。
最初は小さな生き物の事だと大目に見ていたが、流石に堪忍袋の緒が切れた。
「こらっ!仕事の邪魔をするんじゃない!」
普段は冷静なのに、このこねこにかかっては形無しなのだった。


「お邪魔しますよ〜」
そんな呑気な声が聞こえたのは、ルビエルがこねこを握りしめて殺してしまう寸前だった。
九死に一生を得たこねこは声の主のもとへ駆け寄っていく。
頬をペロリと舐められて彼はくすぐったそうだ。
「先ほどからずいぶん騒がしいし、いつも冷静な貴女が声を荒げるなんてただ事ではないと思いましてね」
テリオスはごく当然というようにルビエルの執務室へと入ってきた。
普段は拒否するところだが、今はこの老獪な少年が頼もしく思えた。
「テリオス……助かった。何とかしてはくれないか?私は動物など飼った事もない」
「貴方が僕を頼るなんて、相当苦労したんですねぇ」
実は彼、ルビエルがこねこ相手に振り回されている所を見ていた。
そうとは露とも知らず、ルビエルはあっさり肯定した。
「ああ、魚をやっても全く手をつけないんだ。このこねこ、どこかおかしいのか?規格外なのか?」
この言葉に思わずテリオスは吹き出した。
「……何を笑っている?猫には魚だろう!?」
ルビエルはムキになるが、それはテリオスをますます喜ばせるだけ。
「確かに猫は魚も食べますよ、雑食ですからね。でもこねこは別ですよ」
彼はクレイスを呼び、哺乳瓶に入ったミルクを用意させた。
その時の彼は何とも情けない顔をしていた。
いくら主人の命令だからと言っても大の男がミルクの用意など哀愁を誘う。
「ああ、下がっていいよ」
テリオスはクレイスの戸惑いなどまるで無視だ。
クレイスが哀れだと思ったが、そういう役割なのだから仕方がないとも思えた。
テリオスはミルクが入った哺乳瓶をこねこの口元に近づけた。
するとあれだけ苦労したのが嘘のように、こねこへ美味しそうにミルクを全て飲み干した。
「まだ歯がそろってないんですよ。だからこうやってミルクで栄養を与えるのが普通です」
ルビエルは神妙な顔で頷いている。
「何か解らない事があれば呼んでください。僕でよければ力になりますよ」
「あの……その、助かった。ありがとう」
彼女がこんな風に素直に礼を言うところなど初めて見たような気がする。
テリオスはそれに満足し、リプサリスが早くよくなるといいですね、と言い残して部屋を出た。
ルビエルの執務室の前でテリオスは何度も彼女の「ありがとう」の一言を脳内リピートするのだった。





________________________________________
2014年 12月16日 莊野りず

テリルビでした。女子キャラを「こねこ」呼びするレイジの話も考えたのですが、あまりにも寒くなりそうなのでテリルビほのぼの路線でいきました。
ルビエル様はいい家出身だし、捨て猫とは無縁そうなので、その辺を強調したつもりです。
私も犬猫飼ったことがないので、猫飼ってる友人が「(猫が)ささみとか食べるよ」と言った時には衝撃を受けたものです。
テリオス様は中身が老獪だし、そのくらいの知識はありそうですよね。



B/Mトップに戻る
inserted by FC2 system