「おいで」
目の前に差し出された手には少し皺が寄っていた。
それでも少女は必死に手を取ろうと短い腕を伸ばす。
やっと手が届いた時、老夫婦は微笑んだ。
――これでわたしはもう、ひとりじゃない。
少女の幼い心にその時の思い出はくっきりと刻まれた。
それは教団に売られるまで変わらなかった。


【おいで】


幽葬の地下通路には当然窓もその代わりになるモノもない。
だから食事の準備をするのはレアの体内時計に合わせてだった。
昼食を食べてからかなりの時間が過ぎた。
レアのお腹も空腹を訴え始めた。
そろそろ夕食の準備をしようと、彼女は積んである薪を集めて火を起こした。
今日は季節の変わり目でやけに寒い。
シチュー辺りが無難かと食材を探す。
自分たち三人の分だけではなく、教団に囚われていたインセストたちの分も作らなければならないから、作り甲斐がある。
大量の野菜の皮むきをしていたら、先日連れてきたばかりのインセストの幼い少女が大きな瞳をさらに大きくしてレアに尋ねた。
「なんでお姉ちゃんはあの悪魔の言うことを聞くの?」
今更な質問だったが、新鮮な質問でもあった。
「わたしはアベル様に助けて頂いたのです」
野菜の皮をむく作業を中断しないよう、レアはゆっくりと話す。
それでも少女はその答えに納得しないらしい。
「どうして助けてもらったの?」
包丁を持つ手が止まる。
「それは――」


「インセスト、いるんだろ?早く連れて来い」
そんな高圧的な少年の声が聞こえてきた時、レアは運悪く(いや、むしろ良かった)実験施設へ連行されるところだった。
ちらりとのぞいた時に見えたその悪魔の少年は僧兵たちを次々と倒していて、グーテンベルグの悪魔そのものだと恐怖に震えた。
しかし、インセストとして彼に引き渡されるとむしろ彼は優しかった。
無理やり服を脱がそうとする僧兵を抑え込み、彼自身の手でレアはインセストだと確認された。
その隙をついた僧兵がインセストであるレアごと少年を殺そうとした時、彼はレアを庇って負傷した。
そして空を飛んで逃げる時、言ったのだ。
「来い」
その一言はレアがずっと欲していたものだった。
義父母に売られて以来、自分には何の価値もないのだと思い込んでいたからだ。
その力強い声に、思わずレアは涙を零した。


「……わたしとアベル様だけの秘密です。ごめんなさいね」
「えーお姉ちゃんズルイー!」
少女とは距離を取って、再び夕食の準備に戻る。
今度は肉の下処理をしながら考える。
確かにアベルは乱暴だし残酷な事も平気でする。
でも、ちゃんと優しい部分は追っている。
「きっとインセストたちの事も大切に思っているんでしょうね」
「そんなキャラかよ、アイツが?」
レアの独り言に口を挟んだのはアラギだった。
内心ではムッとしつつ、下処理を終えた肉を油をひいた深底鍋に放り込む。
「アベル様はわたしの恩人です。例えどれだけ悪い事をしたとしても」
「泣かせるねぇ。アイツは嬢ちゃんの事なんて何とも思ってないぞ?」
アラギは本当におかしそうに笑っている。
火が通った肉をいったん取り出し、再び油をひく。
薪がパチパチと音を立てて燃える。
「……そんな事はとっくに知っています。それでも来いと、おいでと言ってくれた事はわたしにとってとても大事な事なのです」
熱くなった鍋にじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、マッシュルーム等を順に入れていく。
アラギはその様子を遠めに眺めながら、挑発に乗らないレアに対してつまらなそうに言った。
「嬢ちゃんも健気だねぇ……」
もう一時間もしないうちにシチューは出来上がるだろう。
出来たてを食べてもらいたくて、レアはわざとゆっくり、薪も少なめにして調理を続けるのだった。







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2014年 12月11日 莊野りず

まさかのアベル不在のアベレア。というか、アベレアというのも怪しい(?)レア→アベルです。
レアは愛情に飢えてそうだと勝手に解釈してます。他に頼れる人がいたら残虐行為上等のアベルとは合わないだろうし。
出会いの部分はわざと原作改変してます。



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