交錯する思惑

交錯する思惑




 初めて見た時は、女かと思った。
 そのくらいリンは小さくて細かった。ケイスケが素直に「女の子!?」というリアクションをしていなければ、多分自分も同じ事を言っていただろう。だが、彼は女の子ではなかった。そう言ったケイスケに対してにやりと下品に笑いながら、「残念でしたー!ついてまーす!」などと言ったのだ。そのこと自体が少年の証拠だ。声も男にしては高いが、少女というのには無理がある。どうやら最初から見られていたらしく、初心者なのかと尋ねてきた。理由は不明だが、なぜか自分は好意を寄せられている、ということは解った。それで「武器が手に入る場所はないか」と訊いたアキラに対して返ってきた返事が「素手で絞め殺せば?」だった。……流石はトシマ。『弱肉強食の街』だと改めて思った。

 それがアキラとリンの出会いだった。

 その後も右も左もわからないアキラとケイスケに情報屋の源泉を引き合わせてくれたり、中立地帯のホテルを教えてくれたりと、どう見ても親切な少年だと思った。実際に、ケイスケも「リンって時々失礼だけど、いい奴だよな」と言っていた。リン自身が引き合わせてくれた源泉も「リンは手がかかるが悪い奴じゃねぇよ」と言い、「なんでアイツみたいな奴が、何でよりにもよってイグラになんて手を出したんだ?」と心底疑問に思っているようだった。
 アキラの場合は相当特殊な事情と言っても間違いではないだろう。なにせ、いつもの通りにBl@ster個人戦で優勝し、その賞金で一人暮らしをしているアパートに帰った。だがそこには警察官がいて、アキラに殺人容疑がかかっていると告げてきた。冷静なアキラでもこれには驚く他なかった。更に殺人の罰は終身刑。死んだ方がマシだと言われるような拷問を受け続けることになる。当然、自殺の権利もない。……そんなアキラにトシマの王であるイル・レを倒し、麻薬組織ヴィスキオを壊滅させれば、終身刑から逃れられる。そんな取引を持ち掛けてきた隻腕の女とその部下の男がいた。もちろんそのまま終身刑を受けるなどご免だったアキラはその取引に乗った。

 そして、今現在トシマにいる。


 ……そして、どう考えてもアキラの放った一言、「お前みてるとイライラする」が決定打となってケイスケは危険な街中に飛び出した。すぐにリンは後を追おうとして、源泉に咎められたが、諦めようとしない。アキラも「ほっとけよ」と言ったのだが、さらにリンはアキラに食って掛かり、「お前ら、友達じゃないのかよ!?」と感情的になった。当人でもないのに。そのリンは最後までケイスケの後を追おうとしていたのだが、源泉の「お前さんでもこの時間帯にうろつくのは危険だ」という尤もなひと言で食い下がるしかなかった。アキラたちよりも数ヶ月は長くトシマという街にいるであろうリンでさえも躊躇うほどの場所。その時になって初めて、アキラは少しの罪悪感を覚えた。

 ――俺が本当に言いたかったのはそんな事じゃない。

 それからはリンと源泉も協力してのケイスケ探しが始まった。トシマと一口に行っても街である以上は広い。探したところで簡単にケイスケは見つからない。ケイスケに対して怒りを覚えたのは、彼が「アキラのため」だと言いながらイグラという殺人も上等なバトルゲームに参加したことも一因だ。
 幼い頃から、孤児院で苛められていたケイスケを助けたのも、苛めっ子が気に食わないから叩きのめしただけのことで、アキラとしてはそれほどのことはしていない。なのにケイスケはそれからずっと、うっとおしいほどにアキラの後についてきた。喧嘩どころか、相手を傷つけるようなことすら言えないような性格なのだ、ケイスケは。そんな相手が「アキラのため」だからと言って無理をしてまで、自分の意志を殺してまで、アキラの望むであろうことを考えての行動だったとしても、それが癇に障った。自分がどうしようと自分の勝手だし、流される事などご免だと考えるアキラとは、それゆえに性格的には合うが、考え方が合わなかった。
 それだけでも危険要素しかないのに、噂では青いツナギの男が無差別に殺しを愉しんでいるらしいというのを聞いた。……この街にいるのは暴力が好きな連中が大半だから、その内容自体は警戒はするが、問題はその特徴だった。『青いツナギ』、それはケイスケの特徴とも言っていいものだった。

 ――まさか……。

 あのケイスケがそんな真似などするはずがない。それは確信している。しかし、もしかしたら、という可能性はどうしても頭の中にあった。……ラインだ。この街で当然のように取引される、リキッドタイプのドラッグ。その特徴は強くなった気になる、だけではなく、実際に身体機能が向上するという魔性のドラッグ。しかも効き目の強いものらしく依存性も高く、一度手を出したら離脱症状には死ぬほどの苦痛を伴う危険なもの。
 通常時のケイスケならば、まず手を出すことはないが、現在では十分に可能性はある。

 ――いや、ケイスケに限って。

 そうアキラは首を振るのだが、ケイスケのように普段優しく善良な者ほど追いつめられやすい側面もある。そのことまで考えられるほどにはアキラも大人ではなかった。……その結果が現在の状況――本気で戦った末のアキラの血液を舐めたケイスケが、なぜか苦しんでいる『不適合』の症状で死に絶えたところだった。
 この街はバトルゲームの舞台である以上、怪我は絶えないし、よく血液を見せつけるように舐められた。その時に共通して見られたのが、どのような理屈でそうなるのかは一切不明なのに、ラインに適合した相手は例外なく死んでいるのだ。……これには何か秘密があるとしか思えない。だがその原理など解らないし、そもそも勉強という事すらも出来るような世代ではなかった。

 ――どうして?

 ケイスケの死と己の血液の謎について考えていた時に、聞き覚えのある声が聞こえた。

「……なんで?」

 それは間違いなく一緒にケイスケを探すことを申し出た少年の声だった。その声音には、一切の感情がなく、ただ機械的に呟いたかのような印象を受けた。

「不適合、だよね? ……ケイスケ、ラインやったんだ」

 リンの視線の位置がどこかおかしい。本来ならばケイスケを見つめているはずの状況で、足元に散らばり、降り始めた雨の滴が垂れるタグを見つめている。リンが何らかの目的があってのイグラ参加だろうとは思っていたが、それよりも大事なのはケイスケのことではないのだろうか?
 そんな事を思っていると、リンがアキラの方に向き直る。その目は、アキラを見つめているようだが、やはりどこかがおかしかった。無意識のうちに自分のタグを握りしめていた。

「……それ、タグ? もしかしてケイスケの?」
「……あぁ」
「そう」

 リンは薄く笑い、ウエストバッグの中身をゆっくり漁る。タグを握るアキラの手に更なる力がかかった。やはり無意識のうちに。ゆっくりと、リンはこちらへ手を差し出した、いや、『何か』を要求している。そしてその『何か』は、この状況では一つしかない。

「……それ、そのタグ、頂戴?」

 子供が親に何かをねだるような、とでも言った方が相応しいだろうか? そのような仕草で、リンは無表情に無茶な要求をした。その表情だけならば少女としか思えない愛らしさだった。だがそこから窺えるのは誰かへの暗い情念、執念だった。それが誰に向けてのモノなのかは、残念ながらアキラには思い当たる節がない。……そういえば、と映画館でオレンジの頭をしたトモユキという男から、リンが『裏切り者』と呼ばれていた事に思い至った。それと何か関係があるのだろうか。
 黙っているアキラにしびれを切らしたのか、リンはウエストバッグから細長い紅いものを取り出した。そしてこれまでに見せた事のない挑発的な笑みを浮かべる。

「くれないなら……」
 細長いものは。訓練学校で人を殺すための授業で教わったことがある。細長く、突きに特化したナイフ――スティレット。リンはそれを逆手に構えて強気に笑う。
「殺すよ?」
「!?」

 その言葉と同時にリンは猫を思わせる身軽な動きで飛びかかってきた。いくら持参したナイフが頑丈だという事は知っていても、いきなりの事で対処が遅れた。一撃自体はリンが細身なためか、それほど重くはない。だがそれを補って余りあるスピードを生かした連続攻撃が雨のように上部から降ってくる。しかも的確に急所を狙ってのモノだ。どうにかナイフでさばいているが、先ほどまでケイスケと戦った身体は疲労で不利だ。

「くっ!」
 アキラが押されているのを見たリンは、どこか昔を思い出すような目で、言葉を発した。
「……アキラさぁ、Bl@sterに参加してたって言ったよな?」
 いきなりの状況には似つかない質問に、アキラは黙り込む。リンはそれにも構わず、独り言でも言うかのように話し出す。
「だったら、聞いたことくらいあるだろ? 『ペスカ・コシカ』ってチームの噂」

 興味がなかったので、周囲から聞かされたこともあまり覚えてはいないが、確かごく最近に聞いたことを思い出した。様々な意味での『さいきょう』チームで、その言葉は漢字で書くと、『最強』『最恐』『最凶』が主な意味だったはずだ。唐突にこんな話を持ち出すという事は、リンももしかしたら関わりがあったのかもしれない。

「……頭は、通称『コート』。意味は『雄猫』」
 再びリンはスティレットを構え、不敵に笑う。雨の暗さにはリンの金髪が映える。
「俺のことだよ」
 さらに激しさを増すリンの攻撃には、どうにか対処すべきだとは思っているが、具体案が思い浮かばない。リンは苛立ったかのように高い場所にスティレットを掲げ吠える。
「とっとと沈めよ!」
 今の理性を失ったリンが、本当のリンなのだろうか? 何にしてもこのままでは本気で殺される。そう本能で悟ったアキラは自殺行為のタイミングでリンの懐に飛び込んでいく。相手に大きなダメージは与えるが、こうでもしないとリンは止まらないだろう。

「死ぬ気かよ?」

 勝利を確信したリンの嘲笑するような声にも関わらず、アキラはナイフを持つ手に力を込める。罪悪感を覚えながらの腿への攻撃。あれだけ苦戦したのが嘘のように、リンはやっと動きを止めた。

 ――リン。

 彼が何を考えているのか、無性に気になる。それに何より、腿を押さえ、苦しそうに呻く。こんな状態のリンを放置など出来ない。アキラはリンの首に下がるタグを引きちぎると、それをそのままポケットにしまった。
 トシマの空は暗く無機質で、今降り続く雨もやむ気配は一向になかった。


初出:pixiv2015年6月16日
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