ペスカ・コシカを結成してから一年と数ヶ月。リンは今までにない充実した時間を感じていた。
兄にコンプレックスを感じることも、学校生活の閉塞を感じることもない、ただ穏やかな日々。平和とは程遠い環境にいながらも、毎日が程よく刺激的で、いい意味でこの生活に慣れるということはない。自分はこんな時を求めていたのだと、満たされた気分になる。
 しかし、たまにこうしていていいのかと疑問を感じることがある。心のどこかにぽっかりと穴が空いたような、そんな自分でもよく解らない不思議な気分。その穴を埋めるすべをリンは知らない。対処しようにもどうしていいのか解らない。
「それにしても、俺らって無敵じゃね?」
「どんなチームでも俺らにかかれば楽勝だぜ!」
 仲間たちと過ごす時間はかけがえのないものだし、もう手放したくない大切なもの。こんなくだらない会話でも昔の傷が癒される。 それでもなお、リンはどこか満たされない。
 欲しかった仲間、欲しかった居場所が見つかったのに、この気持ちはなんなのだろう。
「――リン? 聞いてるか?」
 仲間が不審そうにリンを見ている。リンは話しかけられていることに気づかなかった。慌てて話を合わせようと笑ってみる。
「ああ、聞いてる。俺らは無敵だよな! 他のチームなんてみんなバラバラだし」
 リンが話を合わせると、彼らも嬉しそうに頷く。
「だよなー。俺らより強いチームなんてねーよな!」
「次に優勝したら肉食いに行こうぜ! リンは焼き肉好きだよなー」
 仲間が自分を信頼してくれるのが、心から嬉しい。このままこの時が続けばいい。
 元々人と一緒にいるのが好きだった。構ってくれないと寂しくて仕方がなかった。そんなリンにとってここは居心地のいい居場所だ。しばらく仲間たちと他愛のない会話を楽しんでいると、リンを呼ぶ穏やかな声が聞こえた。
「リン」
 いつの間に来たのか、カズイが名前を呼んだ。今やナンバー2のカズイは、みんなに頼りにされ、暴走しがちな仲間たちの大事なストッパーとしての役目もこなしていた。リンもカズイには世話になっている。
「なんだよ?」
 まさかこっそり酒を飲んでいるのがバレたのか? カズイはペスカ・コシカでは珍しく、良識のある人物だ。そのカズイに見つかったら厄介なことこの上ない。
「新しい溜まり場なんだが、何か所か候補がある。一緒に選んでくれないか?」
 酒を飲んでいたことがバレた様子はない。本当に相談事だったようだ。
「そんなの、カズイの判断ならだれも文句言わないって。俺の出る幕じゃない」
 リンがこの話題から逃げようとすると、カズイはリンの腕を掴んだ。
「お前の意見が必要なんだ。他のチームの溜まり場もそばにある。衝突したら、争いごとになるかもしれないんだ」
 そんなのは実力で排除すればいい。そう言ってやりたいが、声が出ない。なぜかカズイの前だと胸が高鳴る。出会った頃は何ともなかったのに、カズイの声を聴くだけで心臓が跳ね上がる感じがする。
「……どうしても、その場所がいいんだ。リンもきっと気に入る」
 あまりにも確信に満ちた言葉だった。カズイの勢いにリンもたじろぐ。あのカズイがこれだけ言うのだから、きっといい場所なのだろう。
「そんなにいいところなのか?」
「ああ。もう他のチームが争奪戦を繰り広げているな」
 そんな面倒な場所になぜこだわるのだろう。今の溜まり場だって決して条件は悪くない。
廃ビルの地下だから夜中にいくら騒いでも誰も注意もしないし、乗り込んでくるような馬鹿もいない。
「とにかく、明日は空けておいてくれ」
 こうなると頑固なカズイだ。これ以上は何を言っても無駄なので、リンも了承した。


 そこにはは古びた工場跡のすぐ傍に四、五階立てのビルがあった。工場跡ならこれからメンバーが増えても対応できる。そのあたりを考えての判断のようだ。
「いい場所だろ?」
 楽しそうなカズイとは裏腹に、リンはあまり機嫌がよくなかった。こんな汚い工場跡など争ってまで欲しいとは思わない。カズイは一体何を考えているのだろう。
「別に」
仏頂面のままでリンが辺りを見回していると、他のチームのヘッドやナンバー2らしき連中がゾロゾロと集まり始めた。しきりに何かを話し合っている。
「……本当にここってそんなにいい場所なのか?」
 リンの問いにカズイは何も言わない。見ていれば解るとばかりに無言だ。
「そちらが、ペスカ・コシカさん? 正直言ってそんな新興チームにこんないい場所は不釣合いだと思うんだが?」
 男はリンの顔を見うなりせせら笑う。
「……まぁ、そこのお嬢ちゃんが色々してくれるなら譲ってもいいけどな」
 リンの事を女だと馬鹿にした。その下品な言いようにリンの頭はカッとなる。自分から女だと誤解されるように振る舞うこともあるが、基本的にはそんな手は使わない。自分の実力に自信があるからだ。
 こんなところでこんな侮辱を受けて黙ってはいられない。腰に下げたスティレットを構えようとするところを、カズイの力強い腕に止められる。
「何で止めるんだよ! アイツは俺を侮辱したんだぜ!」
 カズイも頭に来ているようだが、静かに耐えている。そんなにこのボロボロの工場跡が欲しいのか。
「うちのヘッドは誰よりも男だ。侮辱するなら俺が相手になるが?」
 カズイの睨みが効いたのか、その男はそれから何も言わなかった。
 

 結局腕っぷしで争うことになるかもしれないという危惧はなくなり、あっさりその工場跡はリン達、ペスカ・コシカの溜まり場となった。
 よほどカズイの睨みが怖かったのだろう、他のチームの男たちはあっさり引いた。リンとしてはもっと乱暴な手を使っても良かった。しかし争いを好まないカズイの手前、それはやめておいた。
「この景色が欲しかったんだ」
 カズイはリンを連れて、廃ビルの頂上に登った。高い場所から見える星空は遮蔽物がない分、いつものものより大きく、壮大に見えた。
「……まさか、この星空のために?」
「他に何の理由がある?」
 リンの質問を笑い流し、カズイはビルの天井に横になった。リンも慌ててそれを真似するように横になる。
「……綺麗だな」
 リンが反芻するように呟くと、カズイは満足そうに笑い、欠伸をした。カズイが眠そうにしている所なんて見たことがなかった。それだけ、この場所のために気を張っていたのだろう。今は安心したように目を伏せた。
「……そういえば最近、あまり寝てなかったな」
 カズイはリンのすぐそばに寄ってきた。リンが慌てても、全く気に留めない。カズイはひたすら眠そうに、欠伸を繰り返していたが、やがて動きが鈍くなっていき、最後は全く動かなくなった。
「おっ、おい、カズイ!」
 リンが慌ててカズイの名を呼んでも、返事はない。ここ数日はこの溜まり場の事で頭が一杯だったのだろう。ろくに寝ていないのにも頷ける。
 リンは真っ赤になりながら、カズイの寝顔を見つめる。端正な顔立ちが無防備に晒されていて、また胸が高鳴るのを感じる。
 ――何考えてるんだよ。俺もカズイも男じゃないか!
 胸が苦しい。こんな想いは初めてだ。リンの視線が自然とカズイの唇へと向かう。自分が何をしようとしているのか、リン自身にも解らない。ただカズイの唇に触れたいという衝動でいっぱいだった。
「お疲れ様」
 リンはそっとカズイの唇に自分のそれを重ねた。初めての口づけはただ唇同士を合わせるだけという、ごく軽いもの。カズイは目を覚ますこともなく、そのまま眠りの中だ。
「……穏やかな顔で寝やがって。俺のこの気持ちをどうしてくれるんだよ」
リンの顔は真っ赤に染まっていた。気恥ずかしさで体中が一杯一杯だ。しばらくの間、胸の動悸が収まらなかった。腹いせにカズイの頬をつねってみるが、何の反応もない。自分ばかりがこんな気分でいるのはずるいと思う。
「やっぱり俺はカズイが好き……なんだろうな」
 初めての、それも同性への恋心に、リンは平静ではいられない。これからどう接したらいいのか、リンはその事で当分悩みそうだと予感した。


 翌朝、リンはカズイの顔をまともに見ることが出来なかった。カズイは昨日の事に気づいていないようだ。それならそれでいい。チームの仲間として、これからはいくらでも時間があるのだから。この胸に芽生えた淡い想いをいつでも伝えることが出来るのだから。リンはそう自分に言い聞かせて、今日もブラスターに参加を決めた。


________________
2017年 1月24日 莊野りず

もう三年も前に書いた話ですが、あまりにも進歩がなくて逆に笑えて来ます。
リンがカズイに惚れたあたりの話ですが、リン→カズイともいえますね。


咎狗トップに戻る
inserted by FC2 system